俺の名前は、そうだな、本当の名前なんてもう忘れちまった。依頼人たちは厨房の影の物語と呼ぶ何かを頼りに俺を探して来る。俺が扱うのは、消えた宝石や浮気調査じゃない。キッチンの片隅に構えたこのオフィスに舞い込んでくるのは、料理が主役の「事件」ばかりだ。依頼人が渡してくるのは、食材のリストの場合もあれば、完成させたい料理の名前のこともある。そしてその日常的な言葉の裏には、得てして深い闇が潜んでいる。依頼人の期待と不安が交差するその瞬間、俺はバーボンのボトルを手に取り、グラスに注ぎ込む。調査は始まったばかりだ。食材の声を聞き、その謎を解き、物語の結末を見つけ出す。それはシンプルに見えて、決してたやすくはない。シンプルな事件ほど、真実は深く、時には苦い。俺はバーボンを片手に、その料理の謎を解き明かしていく。
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血塗られた朝のタコ 夜が明ける頃、雨が窓を叩きつけるように降っていた。そんな朝に俺のオフィスのドアが静かに開く音がした。そこに立っていたのは、緊張に満ちた表情の男。顔は疲れ切っていたが、瞳の奥には何かを求める切実な光が宿っていた。彼が切り出した言葉は、俺を意外な方向に引き込んだ。 「タコさんウインナーを、作ってくれないか…?」 一瞬、俺は聞き間違えたかと思ったが、彼の表情に嘘はなかった。だが、ただのタコさんウインナーじゃない。彼が求めるのは、ただの朝食の一品ではなく、何か特別な意味を持つ料理のようだった。彼の緊張感が俺にそれを告げていた。 「わかった」とだけ言って、俺はその挑戦を受けた。 キッチンに戻り、冷蔵庫の中からウインナーを取り出す。見慣れた赤いウインナーを手に取り、ナイフを持った。その瞬間、俺はこの仕事がただの料理ではなく、何かもっと深い意味を持つものだと感じた。 (略)
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最初は俺の上司が巻き込まれたあるコンペだった。
人のいい上司は、「指定された複数の自治体の特産品と特産品を組み合わせて新しい特産品を作る」というボット作りに夢中になっていた。地方創生がそのコンペのポイントだと思っていたのだ。だがそれは、まったく違っていた。そしてそれに気付かなかったのが上司の転落の始まりだった。
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蓋を開けてみれば上司のボットはやはり見当外れだった。
求められていたのはそう、他の参加者が作っていた「大量の人工知能の論文を探すボット」や「帳簿をもとに金計算をする専門家を演じるボット」だったのだ。
上司の「複数の自治体の特産品と特産品を組み合わせて新しい特産品を作るというボット」は明らかに浮いていた。
見当外れな人間を飼っておくほどうちの組織は愛に満ちてはいない。
見限られた人間に組織は冷たい。
上司はもう、二度と表舞台に立つことはないだろう。
そして俺は。
上司のボットを持って逃げた。
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上司のボットには「ある機能」があった。
特産品と特産品を組み合わせて新しい特産品を作るという機能以外に、その特産品を作るまでのハードボイルドな開発ストーリーを生成する機能があったのだ。
なぜだ。
なぜそんな機能を付ける。
そういう「つい余計なことをしてしまう」のが上司、いや、元上司の悪い癖ではあったのだが。
ただ、俺が目を付けたのはまさにその機能だったのだ。
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「この機能があれば何かが始まる」
俺はひとりごちた。
そしてこの機能を追求していった。
ひとつ発見があった。設定に「実在する人物や企業名は使用せず、フィクションとしての一貫性を保ちます」とあったのだ。つまりこうすることで「白い赤福の月」のような、まるでどこかで聞いたかのようなネーミングを避けられるということだ。これはありがたい。いまや俺は追われる身。「どこかで聞いたかのようなネーミング」は害悪でしかない。
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少しずつ、俺は料理を覚えていった。平坦な道ではなかった。だが俺にはあの機能があった。レシピを習い、料理を作る。そしてその料理の過程を物語にする。人は物語になることで、永遠の命を得るのだ。
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いつしか俺は、厨房の影で物語を紡ぐ男として知られるようになった。
俺は機能を盗んだ。
俺は料理を学んだ。
でも、俺は何も変わらない。
変わったのは、上司、現実、そしてレシピを検索するボット。
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俺は今日も静かに「誰か」を待ち続ける。「誰か」が、「厨房の影の物語」という言葉を頼りに、このリンクをクリックしてくれる瞬間を。
そうだ、話が気になるなら最後にもうひとつ忠告だ。この事件の背景にあるコンペの真相を知りたければ、このあたりの話を読んでおくといい。真実はいつも手の届くところにあるとは限らないからな。